セルロイド人形ミーコものがたり

その1

五年ほど前、セルロイド人形をもう一度作ってみたいと思いが強くなりました。
そのときには人形用のセルロイド生地がありませんでした。
新らたにセルロイド生地を頼むにはたいへんお金がかかるのであきらめていました。
しかし、セルロイド人形を再び作ってみたいという想いはどんどんふくらんで来ます。
2002年1月、セルロイドの生地を発注することになり、
ちょっと負担でしたが人形用の肌色の生地をオーダーしました。
待つこと五ヶ月、やっとセルロイド生地が出来てきました。
箱の封を開けると、セルロイド特有の樟脳(しょうのう)の匂いがプーンと香ります。
すぐにでも人形を作りたかったのですが、
他の仕事があって人形作りは五月の終わりになりました。
セルロイドおもちゃ作り60年の私の父が人形の制作を始めました。
40数年ぶりのセルロイド人形作りでしたが、父は楽しそうに、
プレス成形から彩色、手足の取り付けまで、すべて一人でやりました。
出来上がったセルロイド人形はきれいで、可愛くて‥‥思わず口づけしました。

その2

出来た人形を家に飾っておいたのですが、裸人形なので恥ずかしそうな顔をしています。
人形に洋服を着せてやろうとデパートのおもちゃ売場へ行き、
キティちゃんとリカちゃんの洋服を買ってきました。
キティちゃんの服は小さすぎて着られません。
リカちゃんの服は丈が長くて、ウエストが細いので合いません。
でもリカちゃんのドレスが可愛いので、後ろをテープで留めて着せてあげました。
人形はうれしそうでしたが、ぴったり合う服を着せてやればもっと喜ぶだろうと、
インターネットで人形の洋服探しを始めました。
リカちゃんの服を作っているホームページを片っ端から見て回りましたが、
どのサイトも服の値段が高く、セルロイド人形には似合わない豪華なものばかりでした。
ほとんどあきらめかけていた時にあるリンクから、ひみつの花園さんを見つけました。
リカちゃんのかわいい洋服がたくさんあって、値段がとても安いのです。
オーダーメイドの洋服を作ってもらえるか心配でしたが、メールしました。
すぐに、こころよく引き受けてくれるという返信メールが来ました。
人形を送って、待つこと一週間。6月の始めに可愛い洋服が送られてきました。
     
どの洋服もシンプルな作りでセルロイド人形にはぴったりです。
早速、人形に洋服を着せてあげました。
セルロイド人形がこんなにも味わいがあるとは思いませんでした。
可愛くて、やさしくて、心がいやされる――そんな感じです。
この人形を世に出してやりたいという想いがフツフツとわいてきました。
(2003年2月23日)

その3

昭和34年(1959年)4月10日、今の天皇・皇后両陛下がご成婚されました。
皇太子さまが民間出身の美智子さまとご結婚されるというので、
日本中がミッチーブームの喜びにわきかえり、
ご成婚パレードはそれはそれは華やかなものでした。
     

そのころ、畏(おそ)れ多いことに、
美智子さまの人気にあやかった人形がご誕生あそばされました。
それが何をかくそう、プリンセス☆ミーコさまでございます。
あれから半世紀たちましたが、
ミーコさまは昔と少しも変わらぬ美しさと若さを保たれておられます。
いまだに五才であらせられるそうで、おうらやしいことです。
これが世にいう、ミーコさま伝説の始まりでございます。

その4

私はセルロイド人形☆ミーコです。
1959年から2002年にタイムスリップしてきました。
二十一世紀へ来たミーコはおどろきました。
セルロイド人形は博物館やコレクターの人のところにいて、
たくさん作られていたセルロイドのお人形たちは、
ずいぶん昔に作られなくなっていたのです。

ミーコはひとりぽっちです。
かなしくて、涙がとまりません。
そんなミーコをおじさんはガラスケースに入れて、
たいせつにかざってくれました。
しかし、ミーコは少しもうれしくありません。
昔のようにやさしい女の子たちに抱かれたい、
おそとで遊びたいと、毎日、毎日、泣きくらしました。
おじさんはそんなミーコを見て、
「よし、横浜へ連れていってやろう」
と言いました。
「私は青い目のセルロイド人形じゃないわ」
ミーコが行きたくないとすねても、
おじさんはかまわずに私を車に乗せて走り出しました。     
   青い目の人形

     青い目をしたお人形は
     アメリカ生まれのセルロイド
     日本のみなとへ ついたとき
     いっぱいなみだを うかべてた
     「わたしはことばが わからない
     まいごになったら なんとしょう」
     やさしい日本の嬢ちゃんよ
     仲よくあそんでやっとくれ
     仲よくあそんでやっとくれ

                1921年(大正10年) 「金の船」
                作詞 野口雨情
                作曲 本居長世


大正10年、当時子供に喜ばれていたセルロイド製のキューピーさんがモデルとなっている。雨情の家には人形があったが、娘の一人を亡くしてからは、家に人形を置かなくなった。又、雨情は我が子の迷子や怪我を非常に恐れていた人で、繊細な詩人の心がうかがえる。
大正12年関東大震災の時、米国よりの同情に対し、芸術使節として本居長世が娘達を伴って米国を廻ったとき、一番人気だったのがこの曲。昭和2年に人形が来日する。
 (全国叙情歌を歌う会のホームページから)
(2003年2月25日)

その5

2002年7月初め、ミーコとおじさんは横浜へ行きました。
港が見える丘の外人墓地の近くに、そのかわいい館(やかた)がありました。
館の中に入るとたくさんのアンティークおもちゃがありました。
セルロイドのすばらしいお人形もコレクションされています。
あどけない顔の人形、ちょっと大人びた女の子の人形、
おどけた顔をした人形、動物の人形‥‥
どのセルロイド人形も生き生きとした表情をしています。

ミーコとおじさんは広い芝生の、お庭のテラスに案内されました。
そこには真っ白なふわふわした毛の犬がおとなしく寝そべっています。
おじさんと館の使用人のかたは、テラスのイスで何かお話しています。
お茶を運んで来た美しいおねえさんが、
テーブルの上に置かれたミーコを見て、
「まあ、なんて、かわいいお人形でしょう」と抱きあげてくれました。
ミーコはうれしさに頬(ほお)があかくなりました。
そこへこの館のご主人がお出(い)でになりました。
すてきなスーツを召され、手には英語の雑誌を持たれた、その人は‥‥
(2003年2月27日)

その6


すてきなスーツを召され、手には英語の雑誌を持ったその人を見て、
ミーコはおどろきました (@I@)
なんと、世界的なティン・トイ・コレクターにして、
開運!なんでも鑑定団」でおなじみの北原照久さんでした。
その館(やかた)は北原照久さんが館長をしているブリキのおもちゃ博物館でした。
ミーコはうれしくてうれしくて \(≧∀≦)/
顔からハートマークが三つも四つも飛びました。
北原さんはミーコを手にとって、
「××××円だね」と鑑定してくださいました。
その値段を聞いたおじさんは飛び上がるばかりにおどろきました。
そして、北原さんがセルロイドの博物館を作ると言われたので、
ミーコはますます北原さんが好きになりました。

北原さんの鑑定を聞いたヨモノスケは、
「いくらだニャ〜、ミーコはおしゃべりで泣き虫だからニャン、にゃん千円〜♪(=^人^=)」
「世界でただひとつの新生セルロイド人形☆ミーコさまよ!三千円なわけないでしょ!(*`θ´*)」
ミーコはおこって、ヨモノスケをけ飛ばしました。
「ニャ〜ン、ニャン、ニャン〜〜〜(=T人T=)」


ミーコは北原照久さんの「TOYS CLUB」のお世話になり、
イベントやインターネットで販売していただくことになりました。
2002年8月4日、東京ビッグサイトで開催された、
第7回東京トイフェステバルでデビューすることになりました。
その日、おじさんはミーコの晴れ姿をデジカメでとるために会場に来ました。
ひさしぶりに会うおじさんはミーコを見てうれしそうです。
しかし、トーイズのブースに展示されているミーコの値段を見て、
おじさんはまたまた腰が抜けるほど、おどろきました。
(2003年3月1日)
  
          第7回東京トイフェスティバル・TOYS CLUBのブースと北原照久さん
                     かわいい☆ミーコはブースのコーナーに

エピローグ

2002年9月、セルロイドライブラリ・メモワールハウスの岩井さんから、
銀座デビューしないかというお話がありました。
日本の銀座、世界の銀座‥‥‥
「あの娘(こ)かわいや カンカン娘♪〜 赤いブラウス サンダルはいて♪〜」
たいへんうれしいお申し出に、ミーコは思わず「銀座カンカン娘」を口ずさんでいました。
だってミーコは1959年から来たので、モーニング娘の歌は分からないの(*'ω'*)?
Chacy(キャシー)という名前を岩井さんに付けていただき、
アンティークモール銀座8階のガラスケースコーナーで展示販売されています。

2003年1月、北原さんのところから、おじさんの元に戻ったミーコは
ホームページを作ってもらい、ネットデビューしました。
これからのミーコの夢は、ネットアイドルになることです。

               
アンティークモール銀座  
  銀座カンカン娘

 あの娘可愛や カンカン娘
 赤いブラウス サンダルはいて
 誰を待つやら 銀座の街角
 時計ながめて そわそわにやにや
 これが銀座の カンカン娘
 これが銀座の カンカン娘

 雨に降られて カンカン娘
 傘もささずに 靴まで脱いで
 ままよ銀座は 私のジャングル
 虎や狼 恐くはないのよ
 これが銀座の カンカン娘
 これが銀座の カンカン娘

 指をさされて カンカン娘
 ちょいと啖呵も 切りたくなるわ
 家がなくても お金がなくても
 男なんかにゃ だまされまいぞえ
 これが銀座の カンカン娘
 これが銀座の カンカン娘

 カルピス飲んで カンカン娘
 一つグラスに ストローが二本
 初恋の味 忘れちゃいやよ
 顔を見合わせ
     チュウチュウチュウチュウ
 これが銀座の カンカン娘

ここまでがミーコさま伝説の序章でございます。
次の第二章、第三章はこの物語を読んでくださった皆さま方に綴(つづ)っていただきたいのです。
それが新生セルロイド人形☆ミーコさまが、二十一世紀に再び誕生した夢と望みでございます。
(おわり)
(2003年3月9日)